はじめに
あなたは「空気を読む」と聞いて、どんな印象を受けますか?
僕は、ある時テレビを見ていて目に入ってきた、この言葉を思い出します。
「日本人は、いつも空気を読んでいて、何を考えているのか分からない」
日本に住む外国人へのインタビューでした。
「空気を読む」のは、悪いことなのでしょうか。
このような日本人の気質は、変える努力をしようと言われることが、少なくありません。
個人で発信できるようになった現代。
「自分らしく生きよう」「あなただけの考え方を持とう」と個性が求められる時代に、
「空気を読む」のは日本人の悪い特性とみなされることもあるでしょう。
でも、そんな日本人の気質を、もっと活かせる方法があるのではないか。
僕はそう思っています。
そして上手く使うことで、今こそ大きな力になるとも思うのです。
その鍵になるのが、「うつわ」という概念。
今回はこの「うつわ」とは何かについて、お話させてください。
「うつわ」とは何か
「うつわ」と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。
小石原焼
「うつわ」を辞書で引くと、
「うつわ」 ①ものを入れる器具。入れ物。容器。 ②才能と人格。器量。人物の大きさ。 ③器具。道具。 (引用元:大辞林辞書)
とあります。
たしかに、食器などの器だけでなく、心の器や「器用だね」といった才能、
また「健康器具」といった言葉にも「器」が入っていますよね。
では、僕が定義する「うつわ」とはなにか。
それは「受け入れて変化する、空っぽなモノや状態」です。
これがなぜ日本人の気質とつながるのでしょうか。
日本の感性「エンプティネス」
僕の「うつわ」の定義は、無印良品のデザイナーで有名な、原研哉さんの言葉から引用しています。
原さんは、日本の感性の中に「エンプティネス」があるとして、次のように語られています。
(画像引用元:無印良品 トークイベント採録)
「エンプティネス」というのは「無」ではなく、見る人のイマジネーションを受け入れる「空っぽの器」ということです。 英語で言うと、”Emptiness as a creative receptacle”、つまり「創造的な器としての空っぽ」、要するになんでも受け入れることを待機している状態をいいます。 (引用元:雑誌「Spectator」わび・さび特集)
この「エンプティネス」は、西欧の「シンプリシティ(Simplicity)」に対する概念です。
原さんは「エンプティネス」について、西欧と日本の「包丁」を比較して説明されていました。
ヘンケルス包丁
(画像引用元:Life with Knife)
柳刃包丁
(画像引用元:築地正本 販売サイト)
西欧のヘンケルスナイフは、グリップする時の親指の位置が自然と決まって、 誰が使っても使いやすいし、道具として完成されている。 対して日本の柳刃(やなぎば)包丁は、どこを持てばいいのかわからない。 けれど、逆に言えばどこを持ってもいい。 基本は刺身を切る包丁だけど、持ち方を変えればダイコンだって剥けるしネギだって刻める。 (引用元:雑誌「Spectator」わび・さび特集)
この原さんの「エンプティネス」という概念が、日本人の気質になっていると、僕は思うのです。
この概念を、自分の中でしっくりくる言葉「うつわ」として再定義しました。
日本人独特の感覚「あわい」
今はデザインの例が出ましたが、それ以外で「うつわ」が表れていると思えるものに、
「あわい」という言葉があります。
「あわい」とは「間」とも書き、向かい合うもののあいだのことを指します。
この言葉の語源は、「あう(会う・合う)」。
つまり、相手とのあいだ、境界を「分け・隔てる」のではなく、
むしろ相手と境界を「共有する」ことを前提にしているのです。
このような、相手との境界を曖昧にする感覚が日本にはあります。
他人と境界を引くのではなく、むしろ「自己」と「他」との境界を曖昧にしていく。
これは、自分らしく生きて、個性を尊重するという考え方とは全く違うものです。
この曖昧にする感覚は、仏教の「不二(ふじ)」という言葉にも表れていたり、
茶の湯でも昔、茶人の村田珠光が「和ものと唐ものの違いにこだらないことが重要」と言っていたり、
と日本文化の至るところで垣間見えます。
村田珠光
(画像引用元:称名寺 奈良寺社ガイド)
そのような、境界を曖昧にして受け入れる感覚が、今の日本人にも少なからずあると思うのです。
今こそ必要とされる「うつわ」
さて、冒頭で「日本人の気質は、上手く使えば今こそ大きな力になる」と書きました。
僕は「うつわ」の心を持つことが、
先行きの見えないコロナ禍、急速にテクノロジーが発達する現代を生きぬく力になりうるだろうと考えています。
それはなぜか。
「うつわ」の心とは、外の変化を受け入れる心。
もっと言えば、変化によって自分自身が変わることを受け入れる心です。
また、先ほどの「あわい」にあった、他人や他のものとの境界をなくしていく心でもあります。
どんなに世界の状況が変わっても、どんなに技術が発達しても、
それらを排斥するわけでもなく、他人に押し付けるのでもなく、ただ受け入れる。
自分ごととして受け入れる。
そして、相手の声に耳を傾ける。
人間以外の生物、ものや自然に対しても境界をなくして、その声を聞いてみる。
「こうしたらいいだろう」と決めつけずに、行動していく。
こうして「うつわ」の心を身につけることが、変化に対応する力を強くすると思います。
だから日本人の気質を、今こそ大事にしたいのです。
勿論、ただ気質として持っていればいいというものではありません。
「うつわ」を理解して、自分の気質を「うつわ」に変換することで、初めて力を発揮するのです。
おわりに
さて、長々と話してしまいました。
しかしここまで言っておきながら、まだ自分自身「うつわ」というものが理解できていません。
そしてさらに言えば、理解したというのは逆に、「うつわ」という概念をこちらから決めつけてしまうことになるのかもしれません。
でも、そんなよく分からないものだからこそ、もっと深く知りたい。
色んな分野と掛け合わせながら、そしてあなたと一緒に考えながら、この「うつわ」を広げていきたい。
そう思っています。
これから始まる「うつわを広げる旅」に、ぜひお付き合いください。
【参考文献】
①赤田祐一 著・2019年2月4日発行・「人工」と「自然」の波打ち際にあるもの 原 研哉 インタビュー・「Spectator」わび・さび vol.43・株式会社 幻冬舎
②山口創 著・人は皮膚から癒される・草思社・2019年10月3日発行
③伊藤亜紗・中島岳志・若松英輔・國分功一郎・磯崎憲一郎 著・「利他」とは何か ・集英社新書・2021年4月14日発行