とらくら記者:かっさん
大阪府立大学経済データサイエンス課程3年。祖母が丹後ちりめんの職人、父が板金会社の社長でした。伝統工芸学生アンバサダーとらくら代表、株式会社wakonartなど複数の文化系企業へ参画し、伝統工芸・伝統文化の継承に力を入れる。
今回は博多織織元「黒木織物」へ取材でした。福岡県の西に位置する黒木織物。海風が気持ち良い自然豊かな街から、800年の歴史を誇る博多織の可能性をどう考え次世代に継承するか、3代目黒木社長にインタビューしました!
まず”博多織”とは
嘉禎元年(1235年)、一人の僧と博多商人であった満田弥三右衛門が宋に旅立ち、織物の技法を習得、帰国して代々受け継がれたのが始まりと言われています。さらにその250年後には弥三右衛門の子孫彦三郎が再び明へと渡り、織物の技法を研究。帰国後は工夫と改良を重ね、生地が厚く紋様の浮き出た織物を作り出しました。そしてその織物が作られた土地から「博多織」と名付けられたと伝えられています。
引用:https://www.kurokiorimono.com/about-us
今回の記事のポイント!
- 黒木織物は800年の歴史を持つ博多織織元で現在3代目
- 未経験でも職人になれる充実した社内教育システム
- 今後はITに強い若手人材を積極採用する方針
まず黒木織物について教えてください
黒木織物は800年の歴史を持つ博多織の織元です。1947年に創業して、私で3代目です。当時は現在の西区ではなく中心部の博多区にありました。創業当初の祖父の時代は木製の織機で手織りで製造していました。しだいに力織機が台頭し、工房の大型化や、騒音の問題もあり、現在の海岸部に工場を移転しました。
地域への心遣いから海岸沿いに移転したのですね。ちなみに、現在従業員の方は何名おられるのですか
従業員は私以外で全員で10名です。機織りが5人、機械整備1人、下準備1人、意匠専任1人、整経専任1人、事務員1人です。
意匠や整経とはどういったお仕事ですか
意匠は一般的なデザインそのものというより、下絵を織物に表現する時に経糸と緯糸の組み合わせを考えたり、その指示を出す仕事です。整経は、経糸を織物のロット分、柄の配置通りに並べていく仕事です。
従業員の方は美術系の大学や専門学校出身の方が多いのですか
いえ、そんなことはありません。特に特別な資格や技術が必要なわけではないです。医療関係や飲食店などの異業種からここに勤める人もいます。1からというより0から工房で指導する体制を取っています。
もしこの記事を読んだ学生が「黒木織物で博多織を織りたい」と問い合わせてきた場合、対応いただけるのですか
直近は新型コロナへの対応が忙しく、積極的に面談は行っていません。ただ、「どうしても話が聞きたい」という方はお問い合わせください。
チャンスですね。このお話聞くまでは「職人」と言えば「ほど遠い存在」というイメージが強かったのですが
いえ、うちの場合ですが「職人として生涯やり切る。日本の伝統文化を後世に繋ぐ」といった強い意思のある人なら職人業をすることはできます。しかし、最初はやはり難しく数ヶ月で離脱してしまう人も多いのが現状です。
なるほど。リアルは想像以上に厳しい道のりなのですね。でも思いがあれば誰でも挑戦できる土台はあるということですね。
写真:黒木織物 工房内の織機の写真
最後に、どんな人材をこれから採用したいとお考えですか
こういうご時世なので、採用活動を大きく行うつもりはないです。会社の強みや方向性をもう一度考え直そうと思います。ただ、SNSやネットショップなどのオンラインに強い若い人材の採用は意識していきたいです。発信を通して物販に繋がり、伝統文化を次世代に繋ぐことができれば嬉しいです。
編集後記
前編は以上になります。博多織を製造する現場のリアルや職人さんのリアルを伺えました。黒木織物の場合、特別なスキルや知識が必要ではなく工房で強い意思を持って日々鍛錬することが大切だと分かりました。また、黒木織物の工房がある福岡県西区糸島付近は、海岸沿いで気持ち良い風と緑で溢れた素敵な街でした。ぜひ皆さんにも工房行ってみてほしいです!
取材協力:株式会社黒木織物 代表取締役 黒木和幸氏
https://www.kurokiorimono.com/
写真撮影:伝統工芸学生アンバサダー とらくら 白江勝行
記事執筆:伝統工芸学生アンバサダー とらくら 白江勝行